品質管理の基礎知識(その8)
皆さんも「管理」の勉強を進めて行く途中で「軍隊式管理手法」に行き着いたことがあると思います。「軍隊」と書くと特殊な感情を持つ人もいるようですが、純粋に管理の面から見ていけば、膨大な人数に短時間で効率的な教育訓練を行い、さらに強烈なモチベーションを与えて管理して行く手法は多くの企業で取り入れているのが現実です。
以前このコラムで旧日本海軍のマニュアル管理「操式」「教範」のシステムを取り上げました。当時、高等小学校の出身が多かった下士官に複雑極まる主砲射撃盤、主砲射撃指揮装置の操作方法や世界一の高性能を誇った酸素魚雷の調整、故障修理などを含めて十分取り扱える腕前に育て上げたり、尋常小学校、国民学校出の整備兵に最新鋭の戦闘機、爆撃機の整備、修理が十分出来るように、そして機関兵には軍艦の精密な機械の運転操作、保守整備のエキスパートになるような教育が行なえたのは海軍の「マニュアル管理」によるものだったのです。
このように書くと簡単のように思いますが、今の感覚で言えば中学を出たばかりの数十万人の人々に短時間で最新のジャンボジェット機の修理、保守整備を教え込むようなものですから、これは大変な偉業としか言いようがありません。当時の日本の兵器はまだ技術水準が低いため、性能を上げると機構が複雑になる傾向があっただけに、人材育成にはマニュアルを元にした反復積み上げ方式による管理が絶対に不可欠だったのです。
さらに海軍の管理方式を調べて行くと、品質管理の基礎である「PDCA」を行なっていた事も分かります。このPDCAはデミング・サイクルの進化した形で、日本には戦後導入されたのですが、海軍では「計画と事前の打ち合わせ、実施、研究会」と言う「海軍サイクル」がありました。これは作戦、教育を含め広い分野で応用されていたのです。
また海軍は生産の改善、品質向上も大変熱心でした。第二次世界大戦も半ばになると消耗戦となり日本も兵器の大増産に追われることになりました。そこで海軍は工場の能率を高めるために日本能率協会の森川理事長に依頼して海軍工廠の工場診断を行なってもらいました。診断を終えた理事長は昭和18年1月「海軍工廠の作業にはムダが多い。能率改善の余地がはなはだ多い」と大変厳しい評価を下しました。
これを受けた海軍は直ちに森川氏の指導を受ける事を決定、昭和14年に操業を開始した新しい工場である豊川海軍工廠をモデル工場として選びました。森川氏は豊川工廠を診断すると「ここは新米大工の寄り集まりと同じである。各自は熱心に仕事を行い駆けずり回っていが、その割に生産量が少なく品質は極めて粗末である。プロの大工はまず十分に考えてから道具を準備し、それから楽に仕事を行い、作業時間は短くとも量、質ともに十分な仕事を行なうものだ。当工廠もこのようにプロになるような心がけが必要だ」と酷評しました。
森川氏は機関銃部で25ミリ機関銃を生産している第一機関銃工場の作業を1ヶ月にわたり工程分析を行い、総合作業の流れを分析した結果、75個所の改善個所を突き止めました。さらに森川氏は苦心して1ヶ月で改善を行いそれを実施、その結果を診断し、また改めることを繰り返しました。まさに「PDCA」の手法通りに工場革新を進めたのです。
これにより工場は一新、昭和18年3月に工場診断を始めた段階で25ミリ機関銃1挺作るのに必要な機械加工と仕上げ工数は1670もあったものが、昭和19年10月頃にはわずか47にまで激減したのです。「これはすばらしい」と驚いた豊川工廠ではこの機関銃部に取り入れた方法を機関銃弾包、信管等を作る火工部、双眼鏡、測距儀、コンパスなどを作る工学部を始め、多くの部署に取り入れて行きました。